置賜地域の医師・看護師の紹介
置賜地域の病院で活躍されている医師、看護師に、置賜保健所職員がインタビューしました。
このページでは、インタビューの模様をご紹介します。
※インタビューは平成28年度に実施(以下の情報は平成28年現在のものです)
御協力いただいた医師と看護師
医師
インタビュー冒頭部分
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まず、先生のご出身と米沢市立病院(以下「市立病院」)に赴任されたいきさつを教えてください。 |
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出身は福島県で、福島県立医科大学(以下「福島県医大」)を卒業後、大学の麻酔科に入りました。米沢には、市立病院に集中治療室を作るということで、設計から関わって欲しいという依頼があり、大学からの派遣という形で来ることになりました。当初は5年の予定だったんですが、いつの間にか13年経ちました。 |
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福島県医大の麻酔科からということですが、勤務されたのは大学だけではないですよね。 |
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その前は、郡山の太田西ノ内病院や会津中央病院で、救命センターの仕事をしながら、麻酔の方も一緒にやっていました。
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松本 幸夫 先生 インタビュー全文
2.阿部 秀樹 先生(三友堂病院 診療第三部長)
インタビュー冒頭部分
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先生のお生まれと、どちらでお仕事をされてきたのか教えてください。 |
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1954年に北海道札幌で生まれ、それから50年間ずっと札幌におりました。医師になってからは北海道内を転勤もしましたが、札幌がほとんどです。 |
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米沢へ転勤されたきっかけは? |
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ちょうど50歳を超えて、段々先が見えてきて。その時に、自分が本当に必要とされているところで働ければいいなというのが1つありました。それから、正直言うと札幌時代は毎晩23時まで仕事だったので、できたら19時くらいに帰れて、家族との時間も大事にしたいなという、2つめの理由がありました。
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阿部 秀樹 先生 インタビュー全文
3. 久保田 洋子 先生(公立置賜総合病院副院長)
インタビュー冒頭部分
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先生のご出身は山形ではなかったですよね。 |
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出身は東京都です。東京都の文京区で、山手線の中側という所で、比較的都心の場所ですね。こちらに来た経緯というのは、高校まで東京で過ごしまして、大学が山形大学で、卒業して山形大学にそのまま残ったという状況です。ずっと山形大学に、卒業したんだか、学生続けているんだかみたいな状況で10年近くいました。 |
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途中4年目くらいの時に河北病院に半年一人医長で赴任しました。その後、また大学にずっといて、12年目の時に篠田総合病院に出まして、そこに1年半くらいいた後、また大学にずっといまして、12年前に置賜総合病院に就職させていただきました。 |
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開院からということですね。 |
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いや、開院からではないです。開院の時は恩村先生がいらしたんです。恩村先生は透析が得意な先生で、南陽病院で透析の先生が必要だということでそちらに行かれて、私がこちらに来ました。こちらで12年働いていますので、だいぶ長くなりました。
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久保田 洋子 先生 インタビュー全文
看護師
1.菊地 誠 看護師(社会医療法人公徳会 南陽訪問看護ステーション)
インタビュー冒頭部分
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プロフィールを教えてください。 |
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高校を卒業し看護学校に進学する際、高校時代の恩師から公徳会佐藤病院を紹介され、卒業後、佐藤病院へ就職しました。
そこで精神科看護を知り、その後、26歳から在宅訪問看護に携わらせていただいております。 |
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家族構成を教えてください。 |
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妻と高校生の娘2人の4人家族です。 |
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勤務場所はどちらですか。 |
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社会医療法人公徳会の南陽訪問看護ステーションです。
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菊地 誠 看護師 インタビュー全文
2.青柳 杏実 看護師(米沢市立病院)
インタビュー冒頭部分
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家族構成を教えてください。 |
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義父、義母、義弟、夫、長女、長男、次女の8人家族です。 |
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勤務先はどちらですか。 |
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これまで地域包括ケア病棟におりましたが、平成28年10月に手術室へ異動になりました。 |
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出身や、どちらで仕事をされてきたのか教えてください。 |
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出身は長井市です。平成18年に、米沢市立病院に就職して今年で10年目です。
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青柳 杏実 看護師 インタビュー全文