更新日:2021年12月17日

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三友堂病院 阿部秀樹 先生

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※所属・職名等は、インタビュー当時(平成28年)の情報を掲載しています。

2.阿部 秀樹 先生(三友堂病院 診療第三部長)

阿部先生

リンク:三友堂病院のホームページ

 阿部 秀樹先生のプロフィール
 昭和55年札幌医科大学卒業
 小倉記念病院勤務
 医療法人社団 北斗循環器病院勤務
 現在 三友堂病院診療第三部(循環器科)診療部長
 日時
 平成25年3月15日(金曜日)午前10時~11時
 場所
 三友堂病院 三階面談室
 インタビュアー
 置賜保健所長 山田敬子

出身地と米沢転勤のいきさつについて

 
山田
先生のお生まれと、どちらでお仕事をされてきたのか教えてください。
 
阿部
1954年に北海道札幌で生まれ、それから50年間ずっと札幌におりました。医師になってからは北海道内を転勤もしましたが、札幌がほとんどです。
 
山田
米沢へ転勤されたきっかけは?
 
阿部
ちょうど50歳を超えて、段々先が見えてきて。その時に、自分が本当に必要とされているところで働ければいいなというのが1つありました。それから、正直言うと札幌時代は毎晩23時まで仕事だったので、できたら19時くらいに帰れて、家族との時間も大事にしたいなという、2つめの理由がありました。
 
山田
札幌で23時までになっていたのは、救急指定病院に勤務していたからですか。
 
阿部
そうです。業務量がものすごく多く、3日に1回の当直の他に夜間の救急もあり、その合間に診断書や紹介状を書いたりとかしました。その他、学会とか研究会の活動もしていたので、どうしても終わる時間が22時を超えてしまう。若い時はそれでも良いと思っていたんですけども。
 
山田
私も40歳を前に、連日21時過ぎでギブアップしましたから良く分かります。
 
阿部
そのうち、だんだん若い先生も育ってきて、自分じゃなくても誰でも治療できる状況になってきた時に『これでいいのかな』とフッと考えました。そして、娘が生まれたのが大きなインパクトになりました。
 
山田
だと、こちらに赴任されて何年目ですか。米沢の感想は。
 
阿部
今年で7年目になります。今年みたいな大雪は大変ですけど、逆に考えれば自然にも休む時間が必要で、その時間があるからこそ豊かな実りがあるのだと思います。また、隣近所の方と一緒に冬を過ごすことによって連帯感も生まれます。米沢では町内会の活動も活発ですし、私なんて、まだ若手の方なんですよ~。 
 
山田
へぇ~、町内会の寄合いとかにも出ていらっしゃるんですか。
 
阿部
地域の住民の一人として出ていますよ、勿論。夏には稲荷神社の清掃や、川掃除も一緒にやらさせてもらっています。そのようなことを通じて、自然の中での本当の人間らしい生活というのは、こういうことなのかな・・・と思ったりしています。

 

札幌と米沢の違いについて

 
山田
札幌と比べて米沢はどうですか。
 
阿部
札幌では、予約外来の患者さんたちも皆忙しく、ちょっとでも遅れると待合室で「まだなのか~!」と罵声が響くことがあるんです。ところが、米沢に来て早々の4月、外来が混んでいてお昼過ぎになってしまったんですね。そうしたら、患者さんが「先生、お昼まだなんでしょ。私達、時間はたっぷりあるので待っているから、先にお昼ご飯食べて・・・」と言って、私に何か紙包みを寄こすんです。見たら千円札が入っていて、それはさすがにお返ししたんですけれども、その気持ちが大変うれしくて…。私は、臨床医として、ここで必死に頑張らなければ!と痛感しました。
 
山田
ありますよね、その、人と人ですよね。一般に、米沢人って外部から言うと、少し垣根があるよなんて言われますが、先生は全く感じていないようですね。
 
阿部
そうです。ただ、私は別な場所から来ているので、異邦人の立場からすれば、米沢人は非常に穏やかで辛抱強い感じがします。
 
山田
山形人がそもそも、そうですよね。あと、米沢だと義を重んじることはありますよね、皆さんね。
 
阿部
米沢では『義』ということは今でもとても大事にされていますね。直江兼次にしたって、その時代最大の権力者である徳川家康に昂然と逆らってますから。そういう“大義が通らなければ、毅然として立つ”という風土なんで、それは私にとっても非常にしっくり来ますね。結局、磁石に引き寄せられるように、似たような精神風土に、似たような人間が集まってきているのだと思います。
 
山田
こちらの病院の働き易さとかは、どうですか。
 
阿部
医師の仕事の中には臨床の仕事と、教育研修、それから研究という3つの柱があると思うんです。臨床に関しては、三友堂病院は創業127年の地元の老舗病院なので、親子代々という患者さんも結構いらっしゃるんです。その為、最初から最後まで診ることができる事は、臨床のみならず研究上も非常に大きなメリットがあると思います。それから教育に関しても、ここは明治45年に三友堂附属看護学校を作っているんですね。
 
山田
そうですね、とても歴史があるんですよね。
 
阿部
私は附属看護学校で循環器を教えていて、1年生を担任しています。また、臨床医としての研究では、1例1例を大切にしなければならないと思うんです。実は、東京で診ている難病の患者も、札幌の患者も米沢の患者も病気は皆同じ…。人口の問題で数がたくさんいるか少ないかだけの違いです。だから、米沢市医師会で毎月開催される症例検討会で月平均7症例を提示し、それをきっちり記録として残しています。
 
山田
循環器の勉強会の時には、何人くらい集まっていらっしゃるんですか。
 
阿部
地域の開業医の先生を中心に、大体20名くらいですね。
 
山田
そんなに集まっていらっしゃるんですか。
 
阿部
そこでのディスカッションが良い連携につながっていいます。この辺の救命救急センターとしては公立置賜総合病院がありますが、残念ながら米沢からでは冬場では40分くらい掛かってしまいます。急性心筋梗塞の場合、その時間は致命的です。ですから、私どもの三友堂病院と米沢市立病院が循環器に関しては、365日輪番で対応しています。そして一人でも多くの患者さんが救命出来れば良いな~と思っております。
 
山田
24時間緊急の対応ではメンバー凄く少ないですよね。先生を含め何人ですか。
 
阿部
うちの循環器は3人が常勤なので、3日ずつ輪番ですが毎回呼ばれるわけじゃないので大変ではありません。だいたい月3例から多い時で5例くらいですかね。ですから、年間でも50例弱なんで、そんなに多くはないんです。実は置賜地区の救急医療の一番のネックになっているのは、我慢強い患者さんの気質なんです。

山形大学が毎年、県内の急性心筋梗塞をデータベースにまとめてくださっていますが、東京での急性期死亡率が平均6~7%で、山形県では14%と倍なんです。ただ、これはこちらの先生の腕が悪いのではなくて、全救急患者の4分の1が24時間以上たってからの受診で、緊急治療を受けられない場合の死亡率が37%を超える為なんです。緊急治療した方の急性期死亡率は7%なので、東京とほぼ同じです。急性期死亡率が高いのは、患者さん達への啓発の問題だと思うのです。 
 
山田
なるほど、頑張んなきゃ私達。
 
阿部
そういう問題点も見えてきて、今やらなければならないことが沢山あるな~と思っています。田舎にいけば暇だという事は全くなくて、その中でも常に一生懸命、一つ一つ大事にしていけば、色々な症例を通して最新の医療も勉強できる。さらに、米沢と東京の間は新幹線でちょうど2時間です。2ヶ月に一度くらいは週末の東京での研究会に、日帰りでちょっと行ったり出来ます。
 
山田
北海道より近いですよね、なるほど。
 
阿部
勉強するモチベーションさえ維持できれば、むしろ東京にいるよりも多くの勉強ができるんじゃないかなと思います。
 
山田
ワークライフバランスを保ちながらですね。

 

趣味、ストレス解消法について

 
山田
あと先生、趣味とかストレス解消法とか、お聞かせください。
 
阿部
趣味は読書と映画です。読書に関しては、新聞の書評を見てインターネットのアマゾンに頼んでいます。毎月3万円くらい本を買うので、うちの奥さんから本当に全部読んでいるのか?と冷やかされることもありますが。それから、もう一つは映画です。実は米沢には“米沢マイカル”という立派な映画館があるんですね。あそこは非常に良い映画を時々やっているんで、昨日もダイハードのラスト・デイを夜こそっと観てきましたけど。
 
山田
皆んなにばれてますよ。また先生いたって(笑)。山形は東京と比べると田舎になっちゃうけど、田舎と思うと窮屈で、いつも仕事に拘束されてて、そういう意味のストレスがあるように思われているじゃないですか、走り回ってる先生が多くて。全く逆ですよね、先生の話しをお聞ききすると。

  

置賜で働こうか悩んでいる方々へのメッセージを

 
山田
まず、置賜循環器臨床研究会のご紹介をお願いしたいのですが。先生がコメディカルの方々も「つながる」仕掛けを企画されていますが、きっかけは?
 
阿部
救急医療の中で「我慢して手遅れになられる方が非常に多い」という課題に対し、当初は地域に出て行ってミニ講話をしていましたが、やはり三友堂だけじゃ限界があります。そこでネットワークを作ろうと考えました。その際、この地域で中心となる方、米沢市立病院の芦川紘一院長に代表幹事になっていただき、私どもが事務局を担当して置賜循環器臨床研究会がスタートしました。平成19年11月から年2回の開催で今年11回目になります。春の講演会では200名くらい集まりましたが、実は、一番大切なことは、コメディカルを中心とした医療スタッフの教育だと思っております。
 
山田
そうですよね。それ素晴らしい視点だなと思いました。
 
阿部
2つ理由がありまして、まず、医者だけで集まろうとしても絶対数が少ないから会にならないんですね。循環器専門の医者だけで集まるんだったら3・4人でおしまいって感じになるので(笑)、それじゃ意味がない。そこで、スタッフをどうやって教育していくかということを考え、コメディカルを対象の中心にしてみたら、医療スタッフの皆さんのレベルが凄く高いんで驚きました。
 
山田
私もそう思います。何故かなと思ったら、やっぱり医者が少ないから、自分達がやらねばって感じがあって、凄く勉強してるし前向きだし、こういうの求めてたんですよね、きっとね。
 
阿部
多分、それがあると思います。もう1つの理由は、皆さん地元の人なんですね。だから、自分のじっちゃん、ばっちゃんとかを実際に診なきゃならないのです。当地の看護師のレベルは、私は札幌でいろいろな病院に勤務しましたけど、そのどの病院よりも素晴らしいです。なぜかと言うと、皆さん素直にいろいろな知識を吸収してくださるのですね~。
 
山田
あとは、山形って看護師さん辞めないじゃないですか。公私とも色々な経験を積んできている方が多いので。都市部だと、数年で皆んな辞めちゃって、若手が多くて、皆んな指示を待っているだけで、自分達であんまり考えないでっていう傾向ないですかね。
 
阿部
実は、看護学校の講義をやっている私が、それを一番強調している事なんです。皆んな東京の大病院の名前に憧れちゃうんです。東京の新宿の有名な○○病院とかになると、誘われたら皆んなポーっとなって、行ってしまう。しかし、そういうところに行くことは、大病院の大きな組織の中の小さな歯車になる事なんですよ。だから、毎日毎日同じことばっかりで、それよりも一人の患者さんを最初から最後まで診て、退院後も定期的にフォローしていくといった全人的な医療、そして地域の方々に喜んでいただく地域医療を展開する方が、私ははるかに良いのでは?と思います。自分だったら、その方がやりがいがあると思います。
 
山田
看護学生だけじゃなくて、医者の卵も同じですよね。トータルで地域まで全部繋がって、特に米沢だと医師会の先生方との交流が盛んなので、退院後も、その先生方を通して情報がツーカーツーカー来るわけじゃないですか。
 
阿部
そうなんです。私も若い時分には偏った傾向があったんですが、『心臓だけ診ていて、人を全く診ていない』。カテーテルばっかりやっていると、もう、『心臓だけはだいたい全部分かるんだけど、他は何も分からない』。狭心症を繰り返して、あちこちにステントを入れた患者さんを、こちらはそれで良いと思っているんですけども、当の患者さんにしてみれば『エンドレスに治療を受けなければならない。一体いつまで?』となる。それが凄いストレスになって、うつになって、極端な場合には自殺する人だっているわけです。

その段階になってしまうと精神科担当なので、自分達の循環器科外来へは来ません。「最近来ないけど、あの患者さん、どうしたのかな~?」とフォローアップのお電話をかけると、「いや、実は首吊りした。」と聞いて「えっ!」となるわけですよね。その時になって初めて、“では自分達は一体、何をやっていたんだ?”ということになるわけです。どんな病気を持った患者さんでも、精神的な側面、うつ傾向というのは実は必ずある。だから、そういう全人的に診るという視点がとても大切なのですが、若い時の自分にはそれが欠けていましたね。
 
山田
今の医療は専門分化していて、そうなりがちですね。
 
阿部
昔の私であれば、「うつはもう専門家に任せればいい。自分の範疇じゃないから。」という医師だったと思います。でも、そうじゃないんですね、本当は。患者さんは誰でも不安な状態になる場合があるんです。例えば、急性心筋梗塞で緊急治療して入院中の60歳代の女性がいらっしゃいました。術後のフォローアップの心臓CTを撮る時に、『造影剤が怖いから検査したくない。検査は怖い。』とおっしゃったんですけれど、「大丈夫よ、私が側についているから。」と言えば、それでいいわけです。「じゃ、先生、検査中、本当に側にいる?」「いいよ」と言って、プロテクターを着て、手を握って黙って側に立っていました。
 
山田
凄い・・・、ドラマですね。そこで薬じゃないんですよね。人と人なんですよね。
 
阿部
ただ、私もいい歳なので、そろそろ次の時代にバトンタッチしなければならないと考えています。今年から山形大学医学部の学生さんが実習でたくさん来てくださっていますが、凄く楽しみにしております。自分達が学んだ時代、私はあまりにも失敗談が多くて遠回りばかりしたので、もっと賢く勉強してもらえれば良いな~と思っております。具体的には、あまり教科書的な事だけを話していてもしょうがないんで、自分達の経験やコツ、失敗をありのままに教えて疑似体験をしてもらい、犠牲を未然に防ぐことが私の役目だと思っています。
 
山田
置賜循環器臨床研究会では、何を目指していますか?
 
阿部
3つの意味があると思います。まず、公立置賜総合病院、米沢市立病院、三友堂病院の救急受け入れ3病院が年に1回は連携して、一緒に皆で勉強して、ワイワイ仲良くやりましょう、というのが一番大きな目的なんです。次に、看護師を中心としたコメディカルにも頑張っていただき、いろいろな発表をきっかけにしてモチベーションを上げてもらう。そして自分達は他の地域に絶対負けないというものを見せてもらえればと思います。

3つ目は、この研究会の記録を残していくことなのです。記録さえ残せれば、次の時代の人達が、もっと良いものを出してくれるだろうし、あの時代にこんなことをしていたんだという事で、見てもらえれば良いと思う。ただ、技術はこれからもどんどん進歩すると思うんですけど、やはり、医療の心は、それこそヒポクラテスの時代から今に至るまで、本質的には変わっていないんじゃないかな~と思う昨今です。
 
山田
ドクターとかナースを目指す学生さんへのメッセージを、今ずっと語っていただいている所で、最後に一言よろしいですか。
 
阿部
置賜に生まれた以上は、是非、地元の人々を守るような、そういう方になって欲しいですね。
 
山田
看護師さんは、まさにそうやって働いていらっしゃるという話しですよね、さっきのお話はね。
 
阿部
ドクターもですね、研修の時にあちこちへ行くのはとても大事だと思うんですけれども、最終的には自分を必要としている地元で頑張って欲しいと思います。大きな大都会で、その先生がいてもいなくても良いという所と、ここは違うので、1人の先生が欠けると本当に大変なんです。そういうところで是非、皆さんに必要とされる仕事をしてもらえれば良いな~と心から思います。

若い先生方に言いたいことは、『山に行ったって魚は釣れないんですよ。患者さんがいる場所が、医者のいる場所なんです。たくさんの患者さんから期待されているところで、是非良い仕事をしてもらいたい。』それが一番のメッセージです。そのためには、「及ばずながら私は、多少の経験を積んできていますので、一緒に勉強をしながら、今まで私がやった失敗や仕事のコツをきちんと教えることは出来ますよ。」ということです。
 
山田
そうですね、大事なことですね。お忙しいところ、長時間お話しいただき有難うございました。

 

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