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更新日:2021年1月29日
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『山形県旧県庁舎及び県会議事堂』は、大正5年に大火消失から復興建設され、昭和50年の県庁移転まで県政において重要な役割を果たした。
その後、山形県の文化の振興を図るために、10年の歳月をかけて「山形県郷土館(文翔館)」として復原された。
1876年(明治9)現在の山形県が成立し、初代県令三島通庸によって翌1877年(明治10)に県庁舎が、1883年(明治16)に県会議事堂が建設された。
しかし1911年(明治44)5月の山形大火によって両棟とも焼失し、直ちに同地での復興が計画され、1913年(大正2)4月に建築に着手、1916年(大正5)6月に完成したのが現在の建物である。
山形県庁舎と同時に建設された県会議事堂は、県庁舎と渡り廊下で結ばれている。創建当初の議員の数は35名で、議会のある時は議員の机と椅子を並べて会議が行なわれ、議会のない時は演奏会や展示会などに貸し出されるなどして、多彩なイベントホールとして使われていた。
1986年(平成7)に復原工事が県庁舎と同時に行なわれ、当時の姿を今に伝える文化財となっている。
山形県旧県庁舎は、1995年(平成7)10月、「山形県郷土館(愛称・文翔館)」として公開され、創建当初の姿を今に伝えるとともに、山形県の歴史と暮らしに関する展示コーナー、復原工事を紹介する映像ホール、ギャラリー、会議室などで利用されている。
特に明治時代から今日までを5つの時代に分け、それぞれの時代の山形県の暮らしの様子がわかる「記念碑の回廊」と、山形県の母なる川・最上川の全貌を伝える「最上川は語る」の展示は、山形県の歴史と文化を紹介する興味深い展示となっている。
また県会議事堂の議場ホールは、コンサートや演劇公演、地域イベントなどの文化活動に利用されている。
山形県旧県庁舎の設計は、東京都出身の田原新之助が担当し、米沢市出身の中條精一郎が顧問を勤めた。イギリス・ルネッサンス様式を基調とし、両翼62.721メートル、中央の時計塔までの高さは25.149メートルである。
建物は、レンガ造りの3階建で、外壁は花崗岩の石貼り、屋根は玄昌石のスレートになっており、石柱、明かり窓、換気塔を施している。内部の設備や装飾は、リノリウムの床と照明器具、壁や天井の漆喰装飾と木部の装飾など、大正時代初期の洋風建築の特長を伝える貴重な文化財である。
また時計塔は、札幌の時計台に次いで2番目に古いもので、銅板飾りの塔屋と重錘式の動力で動く時計が珍しい。
山形県旧県庁舎は、1975年(昭和50)まで県庁舎として使用されていたが、同年県庁が山形市松波に移転して新庁舎を建設した後、1984年(昭和59)12月に国の重要文化財に指定された。1986年(昭和61)からは修理工事が始められ10年の歳月を経て1995年(平成7)9月完成した。修理工事にあたっては必要な構造補強を行ない、在来の材料と工法で進められ創建当時の姿の復原が図られた。
山形県旧県会議事堂は、レンガ造り2階建になっており、当時は来賓室や議員控室などに使用された。左右両側と背後は赤レンガ主体の仕上げで、内部にはかまぼこ型のヴォールト天井に独立柱が並び、ガラス張りの明かり窓などがある。
また、復原工事の際に構造の補強として、議場棟の両側に鉄骨造バットレスを設置した。
990-0047 山形市旅篭町3丁目4-51
問合せ先:023-635-5500
山形県郷土館「文翔館」(外部サイトへリンク)
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