更新日:2023年7月12日

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山形県について

さくらんぼの里、もう一つの日本「やまがた」

山形県マップ山形県は、東北地方の日本海側に位置し、東京から概ね北に300km、山形新幹線で約3時間の距離にあり、一般には、全国生産量の7割を占める「さくらんぼ」と鮮やかな四季で知られています。

蔵王、月山、鳥海、吾妻、飯豊、朝日と日本百名山に数えられる秀麗な山々に囲まれ、南から連なる米沢、山形、新庄の各盆地と庄内平野を「母なる川」、最上川が流れる、美しい自然に恵まれた地域です。そこでは、人の住む集落、市街地と農地や里山が綾をなし、自然と人間が調和して存在する、「もう一つの日本」が広がっています。

江戸時代、俳聖・松尾芭蕉は「奥の細道」の全行程156日のほぼ三分の一にあたる43日間を山形県で過ごし、その旅は出羽三山を目指した「心の旅」とも言われるように、いにしえの昔から、山形県は精神文化の地とあがめられてきました。

全国第9位の93万haの県土面積は、その地勢や江戸時代の幕藩体制のなごりから、方言や食べ物など、文化も少しずつ異なり、南から、置賜(おきたま)、村山(むらやま)、最上(もがみ)、庄内(しょうない)の4つの地域に大きく区分されています。

山形県の概要 山形県の全国ベストワン 山形県の名前の由来 山形県の歴史

山形県の概要

位置

 

東端 西端 南端 北端
経度 140°38′48″ 139°31′12″ 140°07′33″ 139°33′03″
緯度 38°46′09″ 39°11′08″ 37°44′02″ 39°12′56″

(資料:国土地理院「山形県 市区町村の役所・役場及び東西南北端点の経度緯度(世界測地系)(外部サイトへリンク)」)

面積

9,323.15平方キロメートル(東西約97km、南北約164km)[令和5年4月1日現在]

(資料:国土地理院「令和5年全国都道府県市区町村別面積調」)

人口

1,040,971人(男504,556人、女536,415人)[令和4年10月1日現在]

(資料:山形県統計企画課「山形県の人口と世帯数」)

世帯

400,895世帯[令和4年10月1日現在]

(資料:山形県統計企画課「山形県の人口と世帯数」)

市町村数

35(13市19町3村)市町村一覧

特産品

さくらんぼ、メロン、ぶどう、すいか、桃、枝豆、りんご、かき、西洋なし(ラフランス)、米、牛肉、酒、ワインなど、「おいしい山形(外部サイトへリンク)」の品々。山形県には、51の酒蔵、19のワイナリーがあります。

さくらんぼ メロン 特産品

主なまつり

山形花笠まつり(8月5-7日:山形市)、新庄まつり(8月24-26日:新庄市)、アマハゲ(1月1-6日:遊佐町)、黒川能王祇祭(2月1-2日:鶴岡市)

国宝

羽黒山五重塔(鶴岡市)、洛中洛外図屏風(狩野永徳筆:米沢市)、太刀二口(銘信房、銘真光:鶴岡市)、上杉家文書(2018通、4帖、26冊:米沢市)、土偶(縄文の女神:舟形町より出土)

自然公園

(国立)磐梯朝日

(国定)鳥海、蔵王、栗駒

(県立)庄内海浜、御所山、県南、加無山、天童高原、最上川

温泉地

226ヵ所(資料:山形県みどり自然課「やまがたの温泉2022」)

姉妹県州・友好県省

コロラド州(米国:昭和61年)、黒龍江省(中国:平成5年)、パプア州(旧イリアン・ジャヤ州)(インドネシア:平成6年)

首長等

知事 吉村 美栄子(平成21年2月14日就任)

副知事 平山 雅之(令和3年10月28日就任)

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山形県の全国ベストワン

ブナ天然林の広さ

15万ha(全国の16.3%:平成12年)

東根の大ケヤキ

幹回り12.6m 推定樹齢1,500年以上(国特別天然記念物 東根市東根)

川西ダリヤ園

ダリア650品種 10万本(園内約4ヘクタール)

羽黒山の石段

2,446段(江戸時代以前の石段で最も長い 鶴岡市羽黒町手向)

石鳥居

2基(山形市鳥居ケ丘と同市蔵王成沢)建造推定年代、平安後期~鎌倉初期(日本最古の石鳥居と推定国指定重要文化財)

即身仏の数(江戸時代以降の湯殿山系即身仏の数)

8体

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山形県の名前の由来

山形県の「山形」は、平安初期の資料「和名類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」に今の山形市の南側を「山方(やまがた)郷」と言ったことに由来があると言われています。なぜここを山方と言ったかは不明ですが、今の山形市より見て南のほうには、山岳信仰で知られた蔵王、瀧山(りゅうざん)の山々があります。

そののちこの山方という地名は、いったん資料から見えなくなるのですが、南北朝時代に斯波兼頼が政治の拠点をこの地に置き政治が安定してくると、土地売買の文書などに山形という地名が改めて見えてくるようになります。

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山形県の歴史

原始

県内一円に縄文時代の遺跡が確認されています。今でも日本一のブナ林を持つ山形県ですが、当時は平地も豊かな食料をもたらす落葉広葉樹林におおわれていたものと思われます。日向(ひなた)洞窟遺跡(高畠町)の約1万年前の地層からは山形県最古の土器の一つが、また、西の前遺跡(舟形町)からは高さ45cmの国内最大級の土偶「縄文の女神」が出土しています。

このあと、稲作を中心とした弥生文化が本県にも伝わりますが、全長96mの稲荷森古墳(南陽市)など、大型の前方後円墳については、本県南部と宮城県南部を結ぶ線が北限とされています。

古代(飛鳥・奈良・平安)

奈良に平城京が開かれた二年後の和銅5年(712年)9月に、越後国(新潟)から出羽郡を割いて、出羽国(でわのくに)が建国されます。その四年後、陸奥国から最上(現在の村山、最上)、置賜の二郡が出羽国に編入。当初の出羽国はほぼ山形県の範囲で成立し、だんだんその領域を北へ、秋田県側に伸ばしていきます。酒田市の城輪柵(きのわのさく)遺跡は、この頃の国府と考えられています。

この時代、県内では、修験の山-出羽三山(鶴岡市)、「めでた、めでたの若松さま」と花笠音頭にも唄われる若松寺(じゃくしょうじ:天童市)、山寺として全国に知られる立石寺(りっしゃくじ:山形市)や秘仏の宝庫、慈恩寺(じおんじ:寒河江市)など、今に伝わる古刹も開かれています。

飛鳥から平安時代にかけては、奈良や京都といった中央の権力に山形県が組み込まれていくときでしたが、平安末期の山形県は奥州藤原氏の影響下にあったものと見られ、義経伝説が庄内、最上地域に多く残されています。

 

中世(鎌倉・室町・戦国)

鎌倉時代に入ると、奥州藤原氏攻めに功績のあった関東武士団が県内各地の地頭に任命されます。こうした村山、置賜地域の大江氏(寒河江氏、長井氏)、庄内地域の武藤氏(大宝寺氏)などは、初めは代官を置いて統治しますが、次第に県内に定着するようになり、苗字に地名を掲げるなどして地方領主となっていきます。

室町時代に入って、南北朝の混乱期、宮城県北部に本拠を置く奥州管領の斯波氏は延文元年(1356年)に斯波兼頼(しば・かねより)を羽州管領として山形に派遣します。斯波氏は当時最上と呼ばれていた山形を本拠としたので、苗字も最上氏と改め支配を広げていき、戦国期には最上義光(もがみ・よしあき)が出て、村山地域から、最上、庄内地域へと北方に勢力を拡大します。

一方、福島県北部が基盤の伊達氏は宮城県南部を経由して置賜地域に進出し、戦国期にはその本拠を置賜地域に移します。永禄10年(1567年)米沢城に生まれた、独眼竜の異名を持つ伊達政宗(だて・まさむね)の代になると、置賜地域、宮城県南部、浜通りを除く福島県を版図とする南奥州最大の大名となりますが、豊臣秀吉の命により宮城県にお国替えとなります。

近世(江戸)

天下分け目の関が原の戦いを受けて、慶長6年(1601年)、置賜地域には、敗れた西軍方の上杉景勝(うえすぎ・かげかつ)が会津から移され、執政の直江兼続(なおえ・かねつぐ)とともに領国経営にあたります。

置賜地域を除く山形県は、東軍(徳川)方についた功績により、秋田県南部と併せ57万石の大大名となった最上義光の所領となりますが、元和8年(1622年)に最上氏が改易されると、旧最上氏領は幕府に近い譜代大名等と幕府直轄領(天領)に分割されてしまいます。こうして、庄内には酒井氏、新庄には戸沢氏が入り幕末まで藩政を布くこととなります。この一方、山形には鳥居氏が封じられますが統治は長く続かず、幕末まで領主が13回交代します。また、山形周辺の村山地域の大部分は北日本一の広さと言われる天領となりました。

天領からの米の積み出しや「最上紅花」などの特産品で最上川舟運は盛んになり、西廻り航路の開設により酒田湊は日本海随一の活況を見せます。国内有数の商都となった酒田には、日本一の大地主、本間家が生まれ、三代目の本間光丘(ほんま・みつおか)は庄内砂丘の植林にも努め、公益の人として賞賛されます。また、米沢藩では九代藩主上杉鷹山(うえすぎ・ようざん)が疲弊しきった藩財政の立て直しを進め名君と尊敬を集めます。

近現代(明治・大正・昭和・平成)

行政区域に注目すると、県内の藩は、明治4年(1871年)の廃藩置県により7県(山形、米沢、上山、天童、新庄、大泉、松嶺)に置き換えられますが、その後の統廃合により、明治9年(1876年)8月21日、現在の山形県が誕生します。

市町村の状況では、明治11年には11郡336町1,223村であったものが、明治22年4月に市制・町村制が施行されると、山形、米沢は仙台など全国29の都市とともに初めての市となり、県下は2市、8町(宮内、長井、上山、天童、新庄、酒田、松嶺、鶴岡)、212村となりました。その後、各市町村相互間の廃置分合などがあり、昭和25年10月現在で5市30町188村となっていましたが、いわゆる「昭和の大合併」を経て昭和43年6月1日からは13市27町4村で推移してきました。

平成17年、余目町と立川町が7月に合併して庄内町となり、10月には鶴岡市・藤島町・羽黒町・櫛引町・朝日村・温海町の1市4町1村が「新」鶴岡市に、11月には酒田市・八幡町・松山町・平田町の1市3町が「新」酒田市となり、現在は35市町村(13市19町3村)となっています。

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