更新日:2020年10月7日

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最近指定された文化財

山形県内で近年、新たに指定を受けた文化財を紹介しています。

小山崎遺跡

国指定 史跡

指定日:令和2年3月10日

  1. 名称 小山崎(こやまざき)遺跡(いせき)
  2. 所在地 飽海郡遊佐町吹浦(ふくら)字七曲(ななまがり)ほか
  3. 面積 39,099.96平方メートル
  4. 概要
  • (1)特色
    縄文時代中期末から後期を中心とする集落と、周辺の水辺環境の利用を目的とした土木構造物である水辺(みずべ)遺構(いこう)が良好な状態で保存されていた遺跡。周辺自然景観や、古環境に関する知見も豊富であり、本州日本海沿岸北部における縄文文化を解明する上で重要。(縄文時代中期末から後期を中心とする集落及び水辺遺構が一体的に保存された遺跡)
  • (2)説明
    山形県の県北、秋田県に接する遊佐町に所在する縄文時代中期末から後期を中心とした集落遺跡である。東北地方日本海側最高峰の鳥海山の南西麓に位置する。遺跡東側には縄文時代から存在する湧水地の「丸池(まるいけ)」が残る。遺跡では丘陵斜面とその南側の低地を中心として、縄文時代早期から晩期までの活動痕跡が確認されている。遺跡の最盛期は中期末から後期後葉で、中期末に斜面地において竪穴建物が営まれはじめ、後期前葉には集落とともに、南側の低地において水辺遺構が形成された。水辺遺構は敷石(しきいし)と打ち込み杭列、木敷(もくじき)等によって構築された水辺環境を利用するための施設で、居住域と水辺をつなぐ道と、付設した作業場からなる。居住域だけでなく水辺環境の利用を目的とした土木構造物である水辺遺構が良好な状態で保存されている数少ない遺跡である。また、「丸池」を含む周辺自然景観がよく保存されているとともに、自然遺物を含め古環境やその利用形態に関する知見も豊富に得られている。縄文時代の人々がどのように環境適応を果たしてきたのかを知る上でも貴重であり、本州日本海沿岸北部における縄文文化を解明する上で欠くことのできない遺跡である。

上杉家墓所

県指定 史跡

指定日:令和元年12月6日

  1. 名称 林泉寺米沢藩上杉家及び家臣団墓所
  2. 所在地 山形県米沢市林泉寺一丁目238番地1 ほか
  3. 特色

曹洞宗春日山林泉寺は、明応6年(1497)越後春日山(新潟県上越市)に建立された寺である。開基は越後守護代長尾能景。父重景の偉業を讃え、その菩提を弔うべくの創建と考えられ、林泉寺は重景の法名である。長尾能景は上杉謙信の祖父にあたる。その後、謙信の家督を継承した上杉景勝は、越後から会津、米沢と国替えになり林泉寺もこれに従ったとされる。
【指定対象】
米沢藩上杉家及び家臣団墓所は林泉寺境内墓地の中にある。約400年間にわたり各家が造立した墓標(墓石)や墓所の区画施設(盛土・縁石等)、灯篭等の付属施設が存在している。今回指定対象とするのは米沢藩主上杉家とその家臣団の墓所(及び参道)で、明治期以降に新たに造営された墓所や大正期以降盛んになる花崗岩製の墓標等は主たる構成要素から除外する。
【墓所の配置】
林泉寺墓地の中央に木柵で囲われた上杉家墓所があり、藩主夫人や子女らの墓標26基がある。その南辺は享保四年(1719)に分家した米沢新田藩駿河守家の墓所となっており、墓標16基(2基は基部のみ残存)がある。家臣団の墓所は上杉家墓所の東と西にあり、主なものとして西側には史跡「直江兼続夫婦の墓」や高家衆筆頭の武田家の墓所、東側には同じく高家衆畠山家や二本松家の墓所がある。
【墓標(墓石)の特徴】
林泉寺墓地には景勝の正室、側室、母の墓標があるほか、多くの藩主夫人・子女が祀られている。また上・中級武士層の墓も集中しており、墓所として林泉寺が重要視されていたことが窺える。本墓所では10種以上の墓標形式が存在するが、それらには上杉家および家臣団の階層構成と一定の相関関係が認められ、往時の墓地政策を知るうえで注目される。林泉寺で最上層に位置付けられるのは藩主夫人とその子女、米沢新田藩駿河守家であり、これらは「堂舎型+小型五輪塔」という形式が用いられた。これに次ぐのが家臣団墓所の「万年堂型+小型五輪塔」である。
【指定の意義】
林泉寺米沢藩上杉家および家臣団墓所は、藩政史上著名な人物が数多く眠る土地であり、藩の宗教政策や武士層の信仰形態を知るうえで貴重な遺跡といえる。県史跡に指定し、保存・活用を図るのが適当と判断される。

所有者:林泉寺 米沢市林泉寺一丁目2番3号
公開の有無:有

 

如来1

県指定 有形文化財(彫刻)

指定日:令和元年12月6日

  1. 名称 木造如来立像
  2. 所在地 高畠町大字亀岡4028-1
  3. 所有者 宗教法人大聖寺
  4. 特色
    (法量)像高153.8cm
    (形状)
    肉髻(現状平彫)。肉髻珠。地髪平彫り。白毫相。玉眼嵌入。三道彫出。衲衣を偏袒右肩に付け、右方は覆肩衣で被う。覆肩衣は右腹前で衲衣に託し込むが、折り返しを見せる。左手は体側に垂下し、掌を仰いで、やや前に出す。右手は屈臂して前に出す。腰をやや右に捻って立つ。
    (品質構造)
    木造(カツラ材)、寄木造。頭体幹部は耳後ろで前後二材矧ぎ、各内刳る。前面材は割首のうえ面部割る。左肩・右肩以下別材矧ぎ付け。両脚部は各前後材から彫出。割足。螺髪別材矧付け(現状欠失)。漆箔仕上げ。
    (保存状態)
    後頭部材、螺髪、肉髻珠、玉眼、左手首先、右肘先、両脚部、両脚像底部欠失。左肩以下は後世の彫りなおしの可能性がある。なお、来迎印を結ぶ手首先が残っており、如来立像2躯のうちいずれかが阿弥陀如来であると考えられる。【指定の意義】本像は、構造や作風から鎌倉時代前期(13世紀前半)の中央仏師の系統(慶派か)に繋がると思われる。また、大きさも等身の像であり、この時期の県内の遺品として貴重である。すでに県指定有形文化財に指定されている同寺所有の「木造聖観音菩薩立像」と、像高(等身像)、作風、制作年代ともに同じと考えられ、本像は、三尊一具像として制作された。熊野三所権現の本地仏像(阿弥陀如来―薬師如来―聖観音)を構成していたものと考えられ、鎌倉時代後期に熊野信仰が当地に浸透していたことを証明するものである。かつ、これらが等身像であることを考慮すると、安置された堂宇はかなりの規模であったと推察され、当地の歴史研究への寄与が期待される。

如来2

県指定 有形文化財(彫刻)

指定日:令和元年12月6日

  1. 名称 木造如来立像
  2. 所在地 高畠町大字亀岡4028-1
  3. 所有者 宗教法人大聖寺
  4. 特色
    (法量)像高154.1cm
    (形状)
    肉髻(現状平彫)。地髪(現状平彫)。肉髻珠。白毫相。玉眼。三道彫出。内衣を付け、衲衣を付ける。右肩に覆肩衣を付ける。覆肩衣は右腹にたくし入れ、折り返しを見せる。左手は体側にやや屈臂して垂下し、掌を仰いでやや前に出す。右手は屈臂する。腰をやや右に捻って立つ。
    (構造)
    木造(カツラ材か)、寄木造。面相部は一材。耳前を含む後頭部四材(後補)を体部に差し込む。体部は木心を含んだ一材から彫出し、肩上で前後に割り、内刳りを施すか。左肩・右肩以下一材矧ぎ付け。螺髪は貼付け。
    (保存状態)
    左手先、右袖口を含む肘先、両脚部、欠失。衲衣正面左脚部欠損。右足以下・左肩以下、後補。なお、来迎印を結ぶ手首先が残っており、如来立像2躯のうちいずれかが阿弥陀如来であると考えられる。
    【指定の意義】
    本像は、構造や作風から鎌倉時代前期(13世紀前半)の中央仏師の系統(慶派か)に繋がると思われる。また、大きさも等身の像であり、この時期の県内の遺品として貴重である。すでに県指定有形文化財に指定されている同寺所有の「木造聖観音菩薩立像」と、像高(等身像)、作風、制作年代ともに同じと考えられ、本像は、三尊一具像として制作された。熊野三所権現の本地仏像(阿弥陀如来―薬師如来―聖観音)を構成していたものと考えられ、鎌倉時代後期に熊野信仰が当地に浸透していたことを証明するものである。かつ、これらが等身像であることを考慮すると、安置された堂宇はかなりの規模であったと推察され、当地の歴史研究への寄与が期待される。

不動明王

県指定 有形文化財(彫刻)

指定日:令和元年12月6日

  1. 名称 木造不動明王立像
  2. 所在地 高畠町大字亀岡4028-1
  3. 所有者 宗教法人大聖寺
  4. 特色
    (法量)像高68.5cm
    (形状)
    巻髪。現状、頂は平滑。水波相。左目眇め、右目は見開く。牙は上下出。口はへしませる。耳朶不貫。後頭部の巻髪は総髪とする。条帛をつける。左手屈臂して索を執り、右手屈臂して腰前で剣を執る。金属製の臂釧、腕釧、足釧をつける。裙(折り返し付)、腰布をつける。腰を右に捻って立つ。
    (構造)
    木造(ヒノキ材か)、寄木造。彩色。頭部は耳後で前後二材を矧付け、内刳りを施す。面相部は割り 矧ぎとし、玉眼を嵌入する。差し首とする。体部は背面肩下がりで前後二材矧ぎ付。内刳りを施し、左右両足を差し込む。左右両手は肩、肘で矧ぎ付。左右肩上部に各小材矧ぎ付。両足先別材。
    (保存状態)
    頂欠失。面相部を除く頭部、前面材の右側欠損。表面仕上げ後補。
    【指定の意義】
    本像は、作風と構造から鎌倉時代前期の中央に繋がる仏師の製作と思われる優れた作品である。卷髪で額に水波相を表し、右目を見開き左目をすがめ、口を閉じて右牙を上出し左下唇を捩じる形態は、いわゆる「不動十九相観」を示しており、現在のところ本像の形態に近い遺品は見当たらない。ただし、図像としては、醍醐寺に伝わる「不動明王像一幅(鳥羽僧正筆)」が近似する特徴を持っている。したがって、本像は、醍醐寺に伝来していた上記図像をもとに制作され、当地にもたらされたものと考えられる。鎌倉時代前期に、大聖寺あるいは当地にあった寺が、醍醐寺と関係があったものと推察される。本像は、鎌倉時代の当地の歴史的状況の考察に資するものになると思われる。

お問い合わせ

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